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その味について思い出すこと #006「アイスの実」

2017年6月15日(木)
illustration & text / カナイフユキ

その味について思い出すこと #006「アイスの実」

雨が上がって、空はくっきりとした水色になり、乾いた風が吹いてくる。僕と母は、コンクリートで出来た大きな階段を登っている。途中で僕は「おんぶ」とせがむ。母はため息をついて、「仕方ないなあ」と言いながら僕を背中に載せる。

僕は3歳か4歳で、それは病院の帰り道だったと思う。予防接種か何かで注射をした後で、僕は“アイスの実”を手に持っている。注射を我慢したごほうびに母が買ってくれたのだ。病院の売店で売っているお菓子の中では、アイスの実とポイフルが僕のお気に入りだった。

母の背中でアイスの実を開けて食べる。僕はチョコレートとバニラと、うすい水色のサイダーのような味がするのが好きだった。「お母さんにもちょうだい」と母が言うので、「何味がいいの?」と聞くと、母は「ぶどうかな」と答える。僕はうすい紫色のアイスの実を探し出して、母の口に入れてあげる。一段ずつ、ゆっくりと、母は階段を登っていく。

小学校に上がる前、母は僕を隣町の小さなデパートに連れて行き、これから必要になるものを買い揃えてくれた。僕は青い傘を欲しがったのに、母は黄色でないとだめだと譲らなかった。「目立つ色だと交通事故に遭いにくいから。」と母は言った。

家に帰ってから、食卓に座り、母は黄色い折りたたみ傘のたたみ方をていねいに教えてくれた。僕が上手くたためるようになると、笑って上手だと褒めてくれた。

母が白い靴下を履かせてくれたのをよく覚えている。僕が食卓の椅子に座って、母は僕の前にひざまづいて、買ったばかりの真っ白な靴下を履かせてくれる。

「いい脚だ。」と母は僕の脚をさすって言った。
「学校にも、隣町にも、どこにでも歩いていけるよ。」と。
僕が通った小学校は、子供の脚で40分ほどかかったので、僕が心細くないように励ましたのだった。

「アメリカにも、イギリスにも?」と僕が言うと、「そうだよ。アメリカにも、イギリスにも、どこにだって行けるよ。丈夫な脚だから。」と母は言って笑った。母はいつも笑っていた。僕のほとんどの記憶の中で。

母が何度脚の手術をしたのか、正確には思い出せない。最初の手術が一番大きかった。僕はそのとき14歳だった。夏休みだったので、父と僕たち兄弟は手術に立ち会った。

母を載せたベッドが運び出された後、広くなった病室で、僕たちは母を待った。父は「あと3回手術をすると、お母さんの脚はよくなる予定なんだ。お母さんが足を引きずらないで歩くの、想像できないだろ?」と言った。

母は、生まれつき脚の骨の一部が変形していて、手術が必要になるのは時間の問題だった。父との新婚旅行では、ネパールに行って山登りをしたかったのだけれど、脚のために諦めたのだと言っていた。

僕をおぶって階段を上ってくれたあの頃も、無理をすれば脚は痛んだはずだ。

保育園の門で座って待っている僕を迎えにくる母の姿を思い出す。
あの頃、まだ母は髪を伸ばしていた。僕を見つけてにっこりと笑いながら、片方の脚をかばうようにして歩いてくる。

僕のほとんどの記憶の中で、母は笑っていて、片脚をかばいながら歩いている。痛みのない足に体重をかけて。その足音も思い出せる。

何度かの手術の後ーそれは結局3回では済まなかったー今、母は杖をついて歩き、長距離の移動には車椅子を使っている。それでも、手術の前よりは楽になり、無理をしない限り痛まないのだと言う。でも、母の性格では、無理をしないということができない。そのことが僕にはよくわかっている。

街中で杖をついて歩いている人を見るたびに母のことを思い出す。母を思い出して心配をしながらも、母から遠く離れた場所で生活することを選んだ、自分の人生が正しいのかどうか考え込んでしまう。ときどき、母の背中で見た雨上がりの空と、甘いアイスの実の味を思い出す。

「どこにだって行けるよ。丈夫な脚だから。」と言ったときの母は、僕がどこに行くことを想像していたのだろう。どこに行くことを願っていたのだろう。

その味について思い出すこと #006「アイスの実」

雨が上がって、空はくっきりとした水色になり、乾いた風が吹いてくる。僕と母は、コンクリートで出来た大きな階段を登っている。途中で僕は「おんぶ」とせがむ。母はため息をついて、「仕方ないなあ」と言いながら僕を背中に載せる。

僕は3歳か4歳で、それは病院の帰り道だったと思う。予防接種か何かで注射をした後で、僕は“アイスの実”を手に持っている。注射を我慢したごほうびに母が買ってくれたのだ。病院の売店で売っているお菓子の中では、アイスの実とポイフルが僕のお気に入りだった。

母の背中でアイスの実を開けて食べる。僕はチョコレートとバニラと、うすい水色のサイダーのような味がするのが好きだった。「お母さんにもちょうだい」と母が言うので、「何味がいいの?」と聞くと、母は「ぶどうかな」と答える。僕はうすい紫色のアイスの実を探し出して、母の口に入れてあげる。一段ずつ、ゆっくりと、母は階段を登っていく。

小学校に上がる前、母は僕を隣町の小さなデパートに連れて行き、これから必要になるものを買い揃えてくれた。僕は青い傘を欲しがったのに、母は黄色でないとだめだと譲らなかった。「目立つ色だと交通事故に遭いにくいから。」と母は言った。

家に帰ってから、食卓に座り、母は黄色い折りたたみ傘のたたみ方をていねいに教えてくれた。僕が上手くたためるようになると、笑って上手だと褒めてくれた。

母が白い靴下を履かせてくれたのをよく覚えている。僕が食卓の椅子に座って、母は僕の前にひざまづいて、買ったばかりの真っ白な靴下を履かせてくれる。

「いい脚だ。」と母は僕の脚をさすって言った。
「学校にも、隣町にも、どこにでも歩いていけるよ。」と。
僕が通った小学校は、子供の脚で40分ほどかかったので、僕が心細くないように励ましたのだった。

「アメリカにも、イギリスにも?」と僕が言うと、「そうだよ。アメリカにも、イギリスにも、どこにだって行けるよ。丈夫な脚だから。」と母は言って笑った。母はいつも笑っていた。僕のほとんどの記憶の中で。

母が何度脚の手術をしたのか、正確には思い出せない。最初の手術が一番大きかった。僕はそのとき14歳だった。夏休みだったので、父と僕たち兄弟は手術に立ち会った。

母を載せたベッドが運び出された後、広くなった病室で、僕たちは母を待った。父は「あと3回手術をすると、お母さんの脚はよくなる予定なんだ。お母さんが足を引きずらないで歩くの、想像できないだろ?」と言った。

母は、生まれつき脚の骨の一部が変形していて、手術が必要になるのは時間の問題だった。父との新婚旅行では、ネパールに行って山登りをしたかったのだけれど、脚のために諦めたのだと言っていた。

僕をおぶって階段を上ってくれたあの頃も、無理をすれば脚は痛んだはずだ。

保育園の門で座って待っている僕を迎えにくる母の姿を思い出す。
あの頃、まだ母は髪を伸ばしていた。僕を見つけてにっこりと笑いながら、片方の脚をかばうようにして歩いてくる。

僕のほとんどの記憶の中で、母は笑っていて、片脚をかばいながら歩いている。痛みのない足に体重をかけて。その足音も思い出せる。

何度かの手術の後ーそれは結局3回では済まなかったー今、母は杖をついて歩き、長距離の移動には車椅子を使っている。それでも、手術の前よりは楽になり、無理をしない限り痛まないのだと言う。でも、母の性格では、無理をしないということができない。そのことが僕にはよくわかっている。

街中で杖をついて歩いている人を見るたびに母のことを思い出す。母を思い出して心配をしながらも、母から遠く離れた場所で生活することを選んだ、自分の人生が正しいのかどうか考え込んでしまう。ときどき、母の背中で見た雨上がりの空と、甘いアイスの実の味を思い出す。

「どこにだって行けるよ。丈夫な脚だから。」と言ったときの母は、僕がどこに行くことを想像していたのだろう。どこに行くことを願っていたのだろう。

カナイ フユキ / Kanai Fuyuki
イラストレーター・作家

1988年生。マンガ、イラストレーション、エッセイなどの作品と、それらをまとめたジンの創作を行う。コミック・ジン「LOST IN PARADISE」発売中。

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