その味について思い出すこと #003「クレープ」
2016年7月23日(土)
illustration & text / カナイフユキ
安いクレープでも意外と美味しいものがある。昔、コージーコーナーで180円くらいで売っていたクレープは、クリームが入っているだけのシンプルなものだったけど、生地がやわらかくて厚めで、バニラビーンズの香りが強くて好きだった。でもいつの間にかなくなってしまった。少し前に近所のコンビニで見つけたそれとそっくりなクレープも、すぐに見かけなくなってしまった。
何でも変わっていくのが普通といえばそれまでだけど、好きだったものがなくなってしまうのは悲しい。
※
クレープで思い出すのは、大学時代の「いつものメンバー」のことだ。彼と彼女と僕の3人のことを、彼は「いつものメンバー」と呼んだ。「次の休みにどこかへ行こうよ、いつものメンバーで。」と、こんな風に。
彼と彼女は大学で出会って、すぐに付き合いはじめた。僕は彼と仲良くしていたので、自然に彼女とも仲良くなった。よく3人で遊んだ。
原宿へ行ったとき、彼女がクレープを食べたがった。僕も食べたくなって、彼女と一緒に並んで買った。僕はチーズケーキとブルーベリージャムが巻かれたクレープを買った。いまでもそのクレープの味をよく思い出す。そして、「原宿に来るとクレープが食べたくなっちゃうんだよね」と言って笑う彼女の顔と、クレープの包装紙のピンク色と、ガードレールに座って待つ彼の姿を思い出す。
彼女はとてもきれいな女の子だった。均整のとれた体つきで、背が高くて、笑うと原節子に似ていた。彼はおしゃれで、博識で、優しかった。僕は彼の癖のある髪と八重歯と話し方が好きだった。僕はふたりのことが大好きだった。思い返すと、ずっと片想いのような気分で彼らと遊んでいたと思う。彼と彼女は愛し合っていて、やがて同じ部屋で暮らし始め、僕には割り込む隙なんてなかったし、割り込む気もなかったけど、やっぱりふたりのことが好きだった。それは不思議な感覚だった。ふたりには友達以上の何かを感じていた。
ふたりの部屋に泊まった夜、彼が「寝るときは俺のTシャツに着替えなよ」と言ってくれたのを僕は断った。彼の服が自分の肌に触れるのはなんとなく恥ずかしかったから。
卒業してからしばらくして、彼と彼女が別れたと聞いたとき、自分でも驚くほど悲しかった。二十歳くらいの頃から何度もしていた別れ話みたいにすぐに終わるだろうと思っていたら、それぞれ別の部屋に引っ越してしまった。僕は、帰る場所がなくなったような残念な気持ちになった。
僕たちは別々の街に住み、別々の場所で仕事をし、別々の新しい友達ができて、別々の場所で遊ぶようになった。そうやって変わっていくのは当たり前のことだけど、もう3人で会うことはないのだろうと考えると悲しかった。「いつものメンバー」はもうないのだ。彼と彼女と会えなくなって、本当に学生時代が遠くなっていく気がした。本当に年をとっていく感じがした。
※
あれから5年が経った。いまでも彼女は手紙をくれる。小さなカードに変な絵を描いて送ってくることもあれば、3,4枚の便箋にびっしりと近況を書いてくることもある。いつも返事を書こうと思っているうちに次の手紙が来る。
彼はたまに突然電話をくれて、何でもない話をする。つい最近もいきなり電話をかけてきて、新しい仕事が忙しいと言っていた。2,3分話したあと、仕事の電話が入ったと言って急いで電話を切った。そのあと、なぜかしばらく動けなかった。彼もときどき僕のことを思い出すのだと思うと、胸がどきどきした。
僕はずっと、いまでも、彼のことも彼女のことも心から好きだ。僕たちは「いつものメンバー」ではなくなったかわりに「いつも思い出すメンバー」になった。
※
僕には、僕たちにはそういうメンバーが必要だったとわかる。僕たちにはそれぞれ、誰にも話したことのない秘密がある気がした。3人でいれば、ひとりでは抱えきれないそれの重さを減らすことができた。どんな秘密かは聞かなかったし、そんなものがあったかどうかもわからない。でも、僕にとってはそうだったのだ。
秘密を話したのは僕だけだった。それを知っても、彼も彼女も僕の友達でいてくれた。あの夜、Tシャツを借りなかったときも、彼はただ笑って何も言わなかった。できることなら、僕は彼と彼女の子供になりたかった。本当の家族とできなかったことをしようとしていた。僕にとってはそのためのメンバーだった。彼と彼女もたぶん、お互いに何かを埋め合わせようとしていた。だから、単純に、一緒にいると安心した。できることならずっとこのままでいたいと思った。
※
いまは、それが叶わなかったことすら、愛しい思い出になってしまった。でも、思い出せばいつでも会えるような気がする。たぶん、こうして〈いつでも誰かが自分のことを思っていると思えるようになること〉が僕たちに本当に必要で、僕たちが本当に求めていたことだった。
僕は、毎日とは言わないまでも、3日に1度はふたりのことを思い出す。そして、ふたりの人生が少しでも良いものであることを望む。ふたりと出会って、はなればなれになって、愛するということには本当に色々な形があるのだと知った。
●
カナイ フユキ / Kanai Fuyuki
イラストレーター・作家
TAG : Fuyuki Kanai , その味について思い出すこと , こらむ
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