ニューユタカ #003「ももいろダンス」
2015年10月10日(土)
TEXT / 藤原 亮 / フジロッ久(仮)
三回目は、手前味噌ながら、音楽でございます。
音楽なんて無力。電源切られてしまえばアウト。いざっていうときなんにも助けてくれない。甘えの産物。逃避。ひとりひとりほんとうの瞬間には自分だけで決断していかねばなりません。
ですが、音楽、大好きですよねえ。不思議なもんで。なんなんでしょうか。
ぼくはバンドをやっていて、音楽を作ったり人前で歌ったりしますが、やっていくうち、音楽をやっているというより聞いていると思うようになりました。宗教かペテン師が言いそうな、まかやしめいた発言です。要注意。でもでも誤解を恐れず言うならば、ぼくがヒトである限り、音楽は受け取るものだと思っています。たとえ作曲したのが自分とメンバーたちだとしても、それを歌や楽器でなぞってそこに響いたあとは、足の下にあるのがステージだろうがフロアだろうが等しくそれを受け取ることしかできません。そこにいるヒトは、そこで鳴るものを聞くことしかできない。
そして、自分でもどういうことかわかりませんが、しっかり音楽がきこえているとき、自分の現実世界に対する認識はちがうレイヤーに入ります。時間、距離、お金とか、関係性、さまざまな「仕方ない」とか、全部が違って見えます。自分の「こうありたい」だけにフォーカスをあててくれる感じ。これは、音楽の持つ力のうちの一番特別なものの一つだと思います。
しー!みんな起きちゃうから静かにして。なに夜中に熱くなってんの。とか言われそうです。すげえ言葉の羅列だよ。音楽を言葉にしようとするとこんなに面倒臭くてスリリングなことになります。こええー。そんなんなっちゃう音楽って、なんなんだろー。
んー。
こんなこと、ひとりじゃないとこで話そうもんなら、「ま、考えなくていいじゃん。てきとー!(感じようぜ)」って誰か言い出すし、ほんとそれ正解って思います。
それでいいんですけど、今せっかくひとりだし(だよね?)、良い発見は良い問いかけから生まれると言います(りんごが落ちた → なぜ → 引力。みたいにして)。もうすこし頑張って付き合ってみる。
で、「やほー!さいきん元気?」よりも「あ、前髪切った?」とか「おっすー!おかあさん身体どう?」のほうが話が膨らむみたいに、具体的な質問が具体的な答えを呼んで、生き生きしたやりとりになっていくから、ここはひとつ「音楽ってなんだろー」をもうすこし具体的にしてみたいと思います。
(数分経過)
んーーーーー。ごめんなさい。いろいろ思いつくけど、どんな問いかけに変えても、答えは自分にしかわからないんじゃないかと思います。
なんだよ!って。なりますよね。でも、いま自分が何を食べたいかが自分にしかわからないようにして「音楽ってなんだろー」は、「(自分にとって)音楽ってなんだろー」だ。だから、僕とメンバーが作った音楽を好きといってくれるスペシャルな人のことを嬉しく思いつつ、自分じゃない誰かのことは「きっとこうなのかな」と思うことができるだけ。わからない。
わからないのに、きみとぼくがおなじうたを好きだなんて、なんという奇跡でアドベンチャーでロマンチックだろうかと思います。そして、おなじうたを好きな同士が集まれば、そんなの当然でしょ!としか思わない。そういう人のことは、ともにこの世を駆け巡る仲間のようだと感じます。
ただの音符の並びを、空気の振動を、なにか大切なものに転換していくのは誰でもない自分自身です。「本人」という言葉があらわす部分でヒトがしていること。
やっぱめんどくせー! &閑話休題。
リラックスして、誰かに対してやさしい気持ちになって、なんかもう全部を捧げたいと思ったらそれだけで自分も泣きそうなくらい満たされた、そんなときの色って何色でしょうか?
ぼくは桃のネクターのような色合いです。全身が果実のとろみで満ちるような感じもぴったり。家族になりたいと思った人ができて自分がネクターでいっぱいになったとき、ある音楽がとてもフィットして、その作曲者である友人のてっちゃんを抱きしめたくなったのでした。
それまでなんども聞いたはずの、とっくに知ってるはずの音楽が、はじめての感触で自分に触れてくる。それはぼくがはじめて気づいたからはじめて感じただけで、歌はずっと変わらずそこにあって、これからもそこにあり続ける。
たはあ、生きているのだなあ、とかなんの足しにもならない感嘆に包まれて惚けていると、後ろからも包んでくるからすっかり力が抜けて、取り繕っていたものがはがれ落ちていくよう。恋人に、うつぶせでタオルを頭からかぶせられてマッサージをされて、泣いてしまったときみたい。
こんな気分にさせられて、いま移動中の電車の中なんだけどな。行き場ないよ。どうしよう。そんな戸惑いもすぐにどこかへ、1コーラスが終わる頃には安心して眠くなるほど。恋人がしてくれたようなことを、遠くに暮らす同姓の友人から受け取る。音楽のちからというやつ。
音楽ってなんだろー、を、ぼくが具体的にしてみたときのひとつの問いかけ。音楽は、何に似ているでしょうか?
眠れない、秋の夜長に。
——————-
藤原 亮 と、高梨 哲宏くんが出演するイベントがあります。
2015年10月11日(日)
パークサイド平井( 特設サイト )
入場無料のイベントです。ぜひ遊びにきてください。
三回目は、手前味噌ながら、音楽でございます。
音楽なんて無力。電源切られてしまえばアウト。いざっていうときなんにも助けてくれない。甘えの産物。逃避。ひとりひとりほんとうの瞬間には自分だけで決断していかねばなりません。
ですが、音楽、大好きですよねえ。不思議なもんで。なんなんでしょうか。
ぼくはバンドをやっていて、音楽を作ったり人前で歌ったりしますが、やっていくうち、音楽をやっているというより聞いていると思うようになりました。宗教かペテン師が言いそうな、まかやしめいた発言です。要注意。でもでも誤解を恐れず言うならば、ぼくがヒトである限り、音楽は受け取るものだと思っています。たとえ作曲したのが自分とメンバーたちだとしても、それを歌や楽器でなぞってそこに響いたあとは、足の下にあるのがステージだろうがフロアだろうが等しくそれを受け取ることしかできません。そこにいるヒトは、そこで鳴るものを聞くことしかできない。
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そして、自分でもどういうことかわかりませんが、しっかり音楽がきこえているとき、自分の現実世界に対する認識はちがうレイヤーに入ります。時間、距離、お金とか、関係性、さまざまな「仕方ない」とか、全部が違って見えます。自分の「こうありたい」だけにフォーカスをあててくれる感じ。これは、音楽の持つ力のうちの一番特別なものの一つだと思います。
しー!みんな起きちゃうから静かにして。なに夜中に熱くなってんの。とか言われそうです。すげえ言葉の羅列だよ。音楽を言葉にしようとするとこんなに面倒臭くてスリリングなことになります。こええー。そんなんなっちゃう音楽って、なんなんだろー。
んー。
こんなこと、ひとりじゃないとこで話そうもんなら、「ま、考えなくていいじゃん。てきとー!(感じようぜ)」って誰か言い出すし、ほんとそれ正解って思います。
それでいいんですけど、今せっかくひとりだし(だよね?)、良い発見は良い問いかけから生まれると言います(りんごが落ちた → なぜ → 引力。みたいにして)。もうすこし頑張って付き合ってみる。
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で、「やほー!さいきん元気?」よりも「あ、前髪切った?」とか「おっすー!おかあさん身体どう?」のほうが話が膨らむみたいに、具体的な質問が具体的な答えを呼んで、生き生きしたやりとりになっていくから、ここはひとつ「音楽ってなんだろー」をもうすこし具体的にしてみたいと思います。
(数分経過)
んーーーーー。ごめんなさい。いろいろ思いつくけど、どんな問いかけに変えても、答えは自分にしかわからないんじゃないかと思います。
なんだよ!って。なりますよね。でも、いま自分が何を食べたいかが自分にしかわからないようにして「音楽ってなんだろー」は、「(自分にとって)音楽ってなんだろー」だ。だから、僕とメンバーが作った音楽を好きといってくれるスペシャルな人のことを嬉しく思いつつ、自分じゃない誰かのことは「きっとこうなのかな」と思うことができるだけ。わからない。
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PHOTO:RIKA TOMOMATSU
わからないのに、きみとぼくがおなじうたを好きだなんて、なんという奇跡でアドベンチャーでロマンチックだろうかと思います。そして、おなじうたを好きな同士が集まれば、そんなの当然でしょ!としか思わない。そういう人のことは、ともにこの世を駆け巡る仲間のようだと感じます。
ただの音符の並びを、空気の振動を、なにか大切なものに転換していくのは誰でもない自分自身です。「本人」という言葉があらわす部分でヒトがしていること。
やっぱめんどくせー! &閑話休題。
リラックスして、誰かに対してやさしい気持ちになって、なんかもう全部を捧げたいと思ったらそれだけで自分も泣きそうなくらい満たされた、そんなときの色って何色でしょうか?
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左:俺 右:高梨哲宏くん
ぼくは桃のネクターのような色合いです。全身が果実のとろみで満ちるような感じもぴったり。家族になりたいと思った人ができて自分がネクターでいっぱいになったとき、ある音楽がとてもフィットして、その作曲者である友人のてっちゃんを抱きしめたくなったのでした。
それまでなんども聞いたはずの、とっくに知ってるはずの音楽が、はじめての感触で自分に触れてくる。それはぼくがはじめて気づいたからはじめて感じただけで、歌はずっと変わらずそこにあって、これからもそこにあり続ける。
たはあ、生きているのだなあ、とかなんの足しにもならない感嘆に包まれて惚けていると、後ろからも包んでくるからすっかり力が抜けて、取り繕っていたものがはがれ落ちていくよう。恋人に、うつぶせでタオルを頭からかぶせられてマッサージをされて、泣いてしまったときみたい。
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高梨哲宏くん
こんな気分にさせられて、いま移動中の電車の中なんだけどな。行き場ないよ。どうしよう。そんな戸惑いもすぐにどこかへ、1コーラスが終わる頃には安心して眠くなるほど。恋人がしてくれたようなことを、遠くに暮らす同姓の友人から受け取る。音楽のちからというやつ。
音楽ってなんだろー、を、ぼくが具体的にしてみたときのひとつの問いかけ。音楽は、何に似ているでしょうか?
眠れない、秋の夜長に。
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藤原 亮 と、高梨 哲宏くんが出演するイベントがあります。
2015年10月11日(日)
パークサイド平井( 特設サイト )
入場無料のイベントです。ぜひ遊びにきてください。
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藤原 亮 / Ryo Fujiwara
ギターを弾いて歌うひと
TAG : ニューユタカ , Ryo Fujiwara , こらむ
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